クロスボウから放たれた一本の矢、
そして見事に射抜かれた林檎。
從十字弓射出的一支箭,
以及被完美的射穿的蘋果。
たとえ沈着冷静に見えたとしても、それは決して機械のように射られたものではなかった。
そこには迷いがあった。
恐怖があり、怯えがあり、
逃げられるなら逃げたいと願う弱さがあった。
就算善起來沉著冷靜,那也絕非機械般射擊的結果。
其中有著迷惘。
有著恐懼,有著怯懦。
也有著如果逃得了的話恨不得當場逃跑的脆弱。
だが、それでも彼は、それら全てを飲み込んで——
ただ息子を救うために、引き金を絞ったのだ。
但,即便如此,他也將那些全部吞下——
一心只為了拯救兒子,扣下了板機。
この一矢は神業だと語られるのかもしれない。
しかしそれは決して神の御業ではない。
這一箭或許會被流傳為神技。
但那絕非神的偉業。
人としての想いを、父親としての想いを、
彼が今まで真摯に培ってきた技術が救っただけのこと。
僅僅只是至今誠心培養出的技術,
拯救了他身為人的信念,身為父親的願望而已。
これは神話の英雄譚ではなく、あくまでも人の物語。
這不是神話的英雄傳奇,單單只是個人的故事。
第二の矢を用意したことを恥じる必要はない。
それも、自らの矮小さを認める、という
人としての強さを持っていた証なのだから。