その日は、私にとっては特別な日だけれど、世界にとってはそうではなかった。
「アン.マグノリアと十九歳の誕生日」
今日という、特別な日に、私がすべき幾つかのこと。
朝、起きて、天気を確認する。
物語を始まるように、カーテンをめくって窓の外を見る。
眩しいくらいの陽光が瞳を刺した。今日は晴れだ。それがわかって嬉しい。
陽なたの優しさに包まれて目覚められたこと。
手紙が雨に濡れる心配がないこと。
それらの事実が、まるでこの日を祝福してくれているようで。——— 嬉しい。
とても嬉しい。
普段は言わないのだけれど、今日は言いたくなって私は寝転がったまま囁いた。
「おはよう」
寝起きてかすれた声が静かな部屋に響いた。
おはよう、という言葉は会話を交わしてくれる相手を探して彷徨う。
けれど、受け取ってくれる人が見つからなくて、甲斐なくどこかに消えていった。
「……」
言葉って、一人だけだと、生まれてもすぐに死んでしまうものだ。
そういう世界の真実を、私は知っている。
色づくことなく、枯れ落ちる花のように。真冬の寒さは耐えきれなかった、小鳥のように。
私の言葉はすぐ死んでしまう。だって言葉は、人と人との意思疎通の為の道具だから。
相手がいなければ死んでしまうだけ。当たり前だ。
私におはよう、と返してくれる人は誰も居ない。
この屋敷には朝の挨拶をするような人が居ないのだから当然と言えば当然だ。
でも、記憶の中ではもう声を忘れてしまった人から言葉が返ってくる。たぶん、母親とはこういうものだったというはあたたかで柔らかな声で返ってくる。
『おはよう、アン』
おはよう。
『今日は特別な日ね』
知っている、私は指折り数えていたのよ。
『待ちに待った、お誕生日よ』
私は頷いて、起き上がる。
今日、私は十九歳になった。
七歳の時に、ひとりぼっちになってから十二年が経過していた。
私はその事実を、一人で誇らしく噛みしめる。
ネグリジェのまま寝室から出て螺旋階段へ。階段の壁にはずらりと肖像画が掛けられている。
『まあ、敷地内だからといってそのままお外に出るの?』
一族の肖像画が飾られた壁は小さい頃は怖かったけれど、自分の母が加わってからはそうでもない。毎日何度も上がり下がりをする階段だけれど、母と幼い自分の肖像画のところだけにはいつも数秒視線を送ってしまう。
———もし、愛に、力が宿るなら。
これだけ焦がれるように見ているのだから、いつかは少しくらい動くんじゃないかしら?
そんな空想抱いてしまう。
『 じっと見たいだって、私は変わりませんよ。それにしてもこの肖像画、少し私の顔色が悪くない? もう少し絵の具を足してもらえば良かった』
勿論、ただの絵空事だ。
階段を降りて玄関へ、玄関の扉は少しガタついてきている。修理の職人を呼ばないと。家は私と同じく生き物で、もう結構なお年だからいつもどこかしら壊れている、。
『 お庭の手入れもして欲しいわね。前に箒を持ったのはいつ?』
外に出ると、ここ一帯の景色が見える、。青々とした草原並木道しかない。牧歌的な風景はひどくつまらないけれど、それゆえ美しく、指先で額を作ればすぐに風景画が一つ出来上がる。ここ一帯で他に家は見当たらない。当然だ。ここはマグノリアの管理する土地で、この景色は当主である私のもの。
私が売ったり、譲ったりしない限り、この景色はいつまでも変わることはないのだ。そして私はできないの当主と同じく、変えることを望んでいない。
此処を 出て行くことも、望んでいない。たとえ、ひとりぼっちでも。
『……アン、ポストを見てみましょう』
私はポストを覗いてみる。
早朝のせいか、まだ何も入っていなかった。
「……」
『……きっとこれから来るわ』
今日、私ごとアン.マグノリアは誕生日だった。
誕生日には毎年亡き母から手紙が届く。
もうになってしまった母から手紙が届く。
———届かなくていい手紙など、ないのですよお嬢様。
正確には、母の思いを吹き込んで代筆してくれた自動手記人形からの手紙が届く。
変な話だが本当の話だ。
後續請站內信這次劇場版或是上次外傳的電影票根,我就會傳本篇給你
如果都沒有看電影,有當初京都動畫的捐款單或是在官網上買東西的訂單等等,對京都動畫有益的,我就會給。
這個特典小說是當初外傳時隨機配布的,算是免費的,但我希望有點貢獻再來伸手。
還有三本,我另外再用。
全文を見たい方は、ヴァイオレット.エヴァーガーデン劇場版のチケットもしくは観影したの証明を見てくれば、pdfファイルを送ります。